自分の代では終わらない話をしている
「手紙には書き続けられないことを、善いことも悪いことも、世間のことも、身の上の嘆きであっても、残らず申し上げておきたいのです」
— 『紫式部日記』消息文の結び(渋谷栄一校訂本 第二部 第二章)御文にえ書き続けはべらぬことを、良きも悪しきも、世にあること、身の上の憂へにても、残らず聞こえさせおかまほしうはべるぞかし
紫式部の生没年は分かっていません。生まれは970年から978年のあいだ、没年は1014年から1031年のあいだで、諸説あります。父は藤原為時。漢学の人で、式部大丞をつとめ、のちに越前守になりました。幼いころ、兄弟の惟規が漢籍を読むのを横で聞いていて先に覚えてしまい、父は「男の子として持てなかったのが不運だった」といつも嘆いていたと、本人が日記に書いています。998年ごろ藤原宣孝と結婚し、翌年に娘の賢子を生み、1001年に夫と死別しました。1006年前後から、一条天皇の中宮彰子に仕えます。才のある女への目は、厳しいものでした。家の侍女たちからは「御前はこうだから幸いが薄いのです。どうして女が漢籍を読むのか」と陰口を言われています。「男でさえ学をひけらかす人は栄えない」という世間の言葉を聞いてからは、一という字さえ書き通さないようにした、と日記にあります。宮仕えのあとには、一条天皇が『源氏物語』を聞いて「この人は日本紀を読んでいるに違いない」と言った言葉を、左衛門の内侍が「たいそう学をひけらかす」と言いふらし、「日本紀の御局」とあだ名されました。それからは屏風の字も読まない顔をして通します。その一方で彼女は、人のいない合間を選んで、彰子に『文集』の「楽府」二巻をひそかに教えていました。『源氏物語』五十四帖がいつ書かれたのかは、はっきりしていません。
「神代からこの世にあることを、書き記してきたものらしい。『日本紀』などは、ほんの片側にすぎない。物語のほうにこそ、筋道の通った細かいことは書いてあるのだろう」
神代より世にあることを、記しおきけるななり。『日本紀』などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ
作中で光源氏に言わせた台詞である。先に物語をけなしておいて、笑いながら言い直した軽い調子の一言でもある。ただし向きに注意したい。正史を持ち上げて物語を弁護したのではなく、正史のほうが片側だ、と順番を引っくり返している。
「まずまずに書き直しておいた本はみな手もとからなくしてしまっていて、(手直し前のものが出回り)気がかりな評判を取ったことでしょう」
よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし
局に隠しておいた物語の本を、中宮の御前に出ているあいだに持ち出され、清書前のものが人手に渡った話である。持ち出したのは最高敬語で書かれた人物で、道長と見るのが通説。直し終わらないうちに人の目に触れてしまうことを、この人も経験している。
「一という字さえ書き通すことはしません。ひどく不調法で、あきれるほどです」
一といふ文字をだに書きわたしはべらず、いとてづつに、あさましくはべり
無学を装っている自分の外見を、てづつ(不調法だ)、あさまし(あきれる)と言っている。同じ段で、中宮へ漢籍の「楽府」をひそかに教えていたことも書いた。それを道長と天皇は知っていた、とも。隠すことと、やめることを混ぜていない。
「この先どうなるのかとばかり思って、心細さの持って行き場もないなかで、それでも他愛のない物語にかこつけて、話の合う人とはしみじみと手紙をやりとりしていた」
いかにやいかにとばかり、行く末の心細さはやる方なきものから、はかなき物語などにつけて、うち語らふ人、同じ心なるは、あはれに書き交はし
出仕する前、夫を亡くしたあとの年月を振り返った段。心細いまま、物語を口実にして話の合う人とつながっていた。ただしこの直後、同じ物語を手に取っても昔のようには感じられず、疎遠になる人も多かった、と続く。慰めがいつまでも効くわけではないことまで、この人は書いている。
「(物語というものは)誰それの身の上として、ありのままを言い立てるのではない。善いことも悪いことも、この世を過ぎてゆく人のありさまの、見ても見飽きず、聞いても収まりきらないところ、それを後の世にも言い伝えさせたい——その節々を、心にしまっておけなくなって、言い残しはじめたものなのだ」
その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、善きも悪しきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、心に籠めがたくて、言ひおき始めたるなり
作中で光源氏に言わせた台詞で、紫式部が地の文で書いたものではない。作者の物語観を光源氏に託したと読むのが、本居宣長『紫文要領』以来の通説。ただし玉鬘を口説く流れの中の台詞で、直後に「私のような実直な愚か者の物語はあるか」と冗談めかして続くため、照れ隠しや皮肉を読む見方もある。